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神戸地方裁判所 昭和30年(ヨ)90号 判決 1955年6月03日

原告 奥野[王頁]

被告 川崎製鉄株式会社

主文

被申請人が申請人に対し昭和三十年二月十三日付を以てなした解雇の意思表示の効力はこれを停止する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人訴訟代理人は主文第一項と同旨の判決を求め、その理由として、

「申請人は昭和二十六年五月九日被申請人会社に雇傭せられ、起重機係、鋳物工として勤務していたが、右雇傭に際し履歴書に最終学歴を私立甲南新制高等学校二年中退とすべきを私立甲南新制中学校卒業と記載していたところ、被申請人会社は昭和三十年二月十三日申請人に対し右雇傭の際の前歴詐称を理由に被申請人会社就業規則第百六条第十四号の「年令住所経歴扶養家族数等雇入の際の調査事項を偽りその他不正の方法を用いて雇入れられた者」に該当するとして解雇の意思表示をなした。しかし、

(一)  申請人は右雇傭に際し、被申請人会社の当時の労働課主任小林武男及び製鋼課長中沢巖に対し履歴書に右詐称の事実を記載している旨打明け、その諒承を得ているから、前歴を詐称して雇傭せられたものとはいえない。

(二)  仮にそうでないとしても、就業規則は作業能率の増進と企業秩序の維持を目的とするところ、申請人は被申請人会社に対し前記の如く最終学歴を真実より低次に詐称したにすぎないから、その詐称行為は右作業能率の増進、企業秩序の維持には何等の影響も及ぼさないものというべく、前記懲戒事由には該当しない。

(三) 仮に右行為が懲戒事由に該当するとしても、その情状は極めて軽微であるから、被申請人会社は情状を酌量すべきに拘らず、申請人が共産党員であるとの風説があること及び昭和二十九年五月頃から映画サークルを作り文化活動をしていたことのために、殊更に申請人を解雇する旨の意思表示をしたものであるから、それは権利の濫用である。

よつて、申請人は被申請人会社に対し右解雇の無効確認を求むべく本訴を準備中であるが、申請人は専ら労働者として被申請人会社から受ける給与により生活する者で、現に解雇されたものとして取扱われ、著しい損害を被つているので、右解雇の意思表示の効力の停止を求めるため本件仮処分申請に及んだ」と述べた。(疎明省略)

被申請人訴訟代理人は「本件仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする」との判決を求め、答弁として、

「申請人がその主張の日被申請人会社に雇傭せられ起重機係、鋳物工として勤務していたが、被申請人会社がその主張の日申請人に対しその主張の如き事由に基き解雇の意思表示をしたことは認めるが、その余はすべて争う。右解雇は明白且つ重大な経歴の詐称を唯一の理由とするものである。即ち、被申請人会社においては従業員を採用する場合、新制中学卒業以下の者は各工場限りの採用が認められているが、新制高等学校在籍以上の者は工員であると否とを問わず本社人事課で慎重選衡の上採否を決し最初の五年間は学歴に従つて種々異つた内規があるところ、申請人は被申請人会社に対しその主張の如き虚偽の履歴書を提出し、工場限りの採用により入社したもので、このことはそれ自体企業秩序をみだし、被申請人会社との信頼関係を破壊しているのみならず、もしかゝる不正が許されるにおいては他の従業員にも悪影響を及ぼし、作業能率の増進、企業秩序の維持に重大な影響を与えることは明かであるから、右詐称行為は就業規則第百六条第十四号の懲戒事由に該当する。仮にそうでないとしても、被申請人会社と申請人の属する労働組合との間に締結せられている労働協約により、就業規則による処分につき異議のある者は組合に申出で組合においてこれを審議し、組合がこれを援用して十日以内に会社に申出でないときはその処分は承認されたものと看做される。これは組合員個人をも拘束するところ、右組合は前記解雇処分につき該期間内に異議の申出をしなかつたのであるから、右解雇はすでに申請人において承認したものというべく、もはやその無効を主張しえない」と述べた。(疎明省略)

理由

申請人がその主張の日被申請人会社に雇傭せられ、起重機係、鋳物工として勤務していたこと、申請人は右雇傭に際しその主張の如く履歴書に最終学歴を私立甲南新制高等学校二年中退と記載すべきを私立甲南新制中学校卒業と前歴を詐称して記載したこと、被申請人会社は申請人主張の日申請人に対し右雇傭の際の前歴詐称を理由にその主張の如き被申請人会社就業規則第百六条第十四号に基き解雇する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争がない。

ところで、申請人は右雇傭に際し、前記詐称事実につき被申請人会社の当時の労働課主任小林武男及び製鋼課長中沢巖の諒承を得ているから前歴を詐称して雇傭せられたものとはいえない旨主張し、申請人本人も亦右主張に副う供述をするけれども、これは証人小林武男、同中沢巖の証言に照したやすく信用することができないのみならず、右小林、中沢の証言によると、小林、中沢は右雇傭の採否につき決定権を有しないことが疏明せられるから、たとえ申請人が右小林、中沢の諒承をえていたとしても、このことのみでは未だ詐称の事実がなかつたものとはいえないから、申請人のこの点の主張は採用することはできない。

そこで、申請人の右前歴詐称行為が就業規則第百六条第十四号に該当するかどうかにつき判断するのに、労働関係は労使の継続的結合関係であり、労使双方の信頼と誠意とによつて成立し、又維持せらるべきもので、使用者が労働者を雇傭するに際しては右信頼関係を基盤とし当該労働者の知能、教育程度、経験、技能、性格、健康等について全人格的判断をなし、これに基いて採否を、採否の曉は賃金職権その他の労働条件を決定するのである。従つて、使用者が労働者の経歴を熟知することは採否、労働条件を決定し、又企業秩序を維持し業務の完全な遂行を可能ならしめるために必要欠くべからざる要請である。而して、就業規則第百六条第十四号は単に「経歴の詐称」を懲戒事由としているが、その経歴の詐称はごく些細なものでは足らず、あくまで使用者の労働者に対する信頼関係、企業秩序維持等に重大な影響を与えるものでなければならない。ところで、成立に争のない疏乙第四号証と申請人本人尋問の結果(第一回)により疏明せられる如く申請人は右雇傭当時未だ十八才にすぎなかつたから、その最終学歴の如何はそれ自体経歴中における最も重要なものであるのみならず、証人桑江義夫の証言によると、経歴詐称者をそのまゝ企業内に放置することはそれ自体他の労働者にも悪影響を及ぼしその企業秩序を破壊し又被申請人会社の外部に対する信頼性等にも重大な影響を及ぼすこと及び被申請人会社においては新制中学校卒業者と新制高等学校中退者とは若干その採用方法を異にし、前者は工場限りの採用であるが、後者は右採用方法の外本社人事課で一応書面審査を行うのであり、更に後者には制度上職員への昇進の途が開かれていることが疏明せられるから、申請人の詐称行為も、労使双方の信頼関係、企業秩序維持等に重大な影響を与えるものというべきである。そうすると、申請人の右詐称行為は就業規則第百六条第十四号に該当するものといわねばならない。

そこで、申請人の権利濫用の主張につき考えるのに、懲戒処分中解雇は労働者を企業外に追放する極刑ともいうべきであるから、当該労働者をそれ以下の懲戒処分に附して反省の機会を与えることが無意味であつて、企業秩序維持の必要上当該労働者が企業内に止ることを許す余地が全くない場合に行われるものと解すべきであり、本件就業規則第百六条もこの見地から解釈せらるべきところ、申請人の詐称行為の態様は前記の如く高等学校中退を中学校卒業とより低次の学歴に詐称したもので、その程度も被申請人会社の申請人に対する全人格的判断に決定的な影響を与えるものではなく、真実を述べても当然雇傭せられたであろうと認められる程度のものであるのみならず、証人小林武男、同中沢巖、同桑江義夫の各証言の一部と申請人本人尋問の結果(第一回)を綜合すると、申請人は私立甲南新制中学校を卒業後、家庭が貧困なため所謂アルバイトとして日本可鍛工業所に勤務しながら私立甲南新制高等学校に通学していたが、欠席勝であつたので、同高等学校二年で中退したのであるが、前記雇傭に際し、申請人は右中退の事実を打明けるのを恥じ、たゞ慢然と学歴を詐称するに至つたもので、別に他意があつたわけでなかつたこと、雇傭後も勤務上別段の支障もなく、被申請人会社に何らの損害も与えていないこと及び前記の如き職員への昇進制度も終戦後一度も実施せられたことがないことが疏明せられる。もつとも成立に争のない疏乙第五号証と証人中沢巖、同桑江義夫の各証言並びに申請人本人尋問の結果(第二回)を綜合すると、申請人は右雇傭後約二年間は他の工員との間に意思の疏通を欠き、職場内も円滑さを欠いていた上、勤務成績も中程度以下で無届欠勤も多かつたことが疏明せられる。しかし、右事実が申請人の経歴詐称による不正入社に基くものであるとの疏明がないのみならず、申請人本人尋問の結果(第二回)によると、申請人は被申請人会社からその勤務成績或は無届欠勤につき未だ一度も注意を受けたことがない上、最近では同僚との関係も円滑に行つていることが疏明せられる。以上を要するに、これらの事実を対比検討するとき、申請人の詐称行為は一応企業秩序維持の上から穏当を欠くけれども、これによつて労使双方の信頼関係が根底より覆され、被申請人会社が企業秩序維持の必要上申請人を企業内に止まらせる余地が全くないものとは云いえないから、被申請人会社は申請人を解雇より軽い懲戒処分に付するのが相当である。

そうすると、本件解雇は被申請人会社が申請人が共産党員であるとの風説のあつたこと、映画サークルを作り文化活動をしていたことを理由に申請人を解雇したかどうかを判断するまでもなく、権利の濫用として違法であり、無効といわねばならない。

そこで、被申請人の申請人は右解雇を承認している旨の抗弁につき考えるのに、なるほど成立に争のない疏乙第三号証の一乃至三、その原本の存在及び成立に争のない同第六号証と証人河野猪一郎、同桑江義夫の各証言を綜合すると、被申請人会社と申請人の属する労働組合との間に、就業規則による処分につき異議のある特定組合員はその苦情処理の方法として組合にその旨を申出で、組合においてはこれを審議し、右処分のあつた日から十日以内に被申請人会社に提議することを要するのであつて、もし右期間内に提議しなかつた場合は右苦情は放棄せられ、事態は実施せられた通り解決したものと看做される(労働協約第百十四条、第百二十一条、第百二十二条、第百二十三条)旨の労働協約が締結せられていること及び右組合は被申請人会社に対しその所定期間内に申請人の本件解雇処分に対する異議につき苦情を提議しなかつたことが疏明せられる。しかし、右規定は就業規則、労働協約の実施解釈をめぐる紛争の解決を目的とする苦情処理に関する一規定であつて、右疏乙第六号証により疏明せられる如く、苦情処理は団体交渉の一つの方式であり、職場における紛争を一定の日限のもとに特定の機関で解決する仕組にし、職場における不平不満を適切に解決して労働争議を未然に防止せんとする労資双方の集団的労働関係を規整するもので、直接、個別的労働関係を規整するものではないから、前記の承認の擬制はあくまで組合のみを拘束するもので、組合員個人の権利に対しては直接何らの効力を及ぼさないのみならず、労働組合は組合員の固有の権利を任意に処分することはできないから、組合の承認によつて申請人の権利が左右せられるものでもない。従つて、申請人の属する労働組合において所定期間内に申請人の解雇について苦情の提議をしなかつたからといつて、申請人がその解雇を承認したものと擬制することはできない。被申請人の抗弁は採用できない。

而して、申請人本人尋問の結果(第一回)によれば、申請人は右解雇の意思表示により生計を失い、本案判決の確定をまつていては回復することのできない著しい損害を蒙ることが疏明せられる。

よつて、申請人の本件仮処分申請は理由あるものと認め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山内敏彦 大野千里 奥村正策)

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